しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、
この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。
すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
神は人のように偽ることはなく、 また人の子のように悔いることもない。 言ったことで、行わないことがあろうか、 語ったことで、しとげないことがあろうか。
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
このように、わが口から出る言葉も、 むなしくわたしに帰らない。 わたしの喜ぶところのことをなし、 わたしが命じ送った事を果す。
たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。
神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)
彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、
神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。